例えば、あなたがペットを飼っていたとして、そのペットがあなたを好きかどうかと聞かれたら。
好きだと思う、
嫌いだと思う、
好きでも嫌いでもないと思う、
心は3通りでは表せないものの、どれでもいいしどれを答えたとしても、
それがあなたの現実だ。
つまり、心が、心での思い込みや解釈がストーリー、シナリオ強いては現実、人生を作ってるのである。
それ故、
この原理と同じように、
汚れた心、妬みや悪意なる心でいれば、その者の現実はそのようになり正確にはそのように見えてしまい、
奇麗な清らかな心であれば、その者の現実はそのようになる。
奇麗な心を保つ、清らかな心でいる意味と必要性はここにある。


それにしても、自分自身が身体、人ではなく知識だと知ったなら、
世界をどのように見るべきか、という意義もなくなる。
世界と私、
この対象があるが故、片方をどう見るべきかという必要性が発生しているだけで、
対象がなくなれば、その必要性もない。
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