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12/10 心はどこに?

人は常に「心」に気を配り、「心」に関しての教えや書物は世に大きな根を張り巡らし。
誰もが関心を抱く対象だ。
愛の心
調和の心
平和の心
幸せの心
誰もが聞いたことのある言葉である。

しかしながら、そもそも「心」自体がどういうものか、を自身の中で調べあげられた時、
その肝心の「心」は見当たらない。
「心」とは意識、視点が外に向けた時に現れるもの。
内へ向けらた時、心自体に向けらた時にはないもの。
つまり実際のところ、「心」とは概念。
「心」とはないのであり、幽霊のようなもの。

現れたり消えたりするようなものを後生大事にする益は実際のところどれほどもないが、
身体や人格がわたしという人にとっては、心は常時あるために
どのような心でいるかが、せめてもの苦肉の策というだけのこと。
心とは幻想。
心というものはない。

愛や
調和や
平和、幸せ。

それらは私たちの本性だ。
故にそれらを表現するのに心は不要、むしろ障害。
愛、調和、平和、幸せを表現できるときは、心がない時において表現できるということであり。
従って、

愛の心
調和の心
平和の心
幸せの心
それらを思い描き、捉われる以上、その表現、実現はできない。
歪みや抵抗が生じストレス、不満が現れる。

小さな純粋無垢な子供が愛や調和や平和を表現できるのにはそういう理由がある。
子供たちは、
愛の心が何か、
調和の心とは何か
平和の心とは、幸せとは・・なんて考えて表してはいない。

だから、
考えを止め、思いを止め、今に意識を置いて、
ただ自身として在るだけで、
真のわたしとして在るだけで、
世界に必要な対応はなされ、自然に行為は行われ。

愛や
調和や
平和や
幸せが、自ずと自然にその時現れる。

ありのまま。
ゆだねる。
行為者はいない。

とは、そのようなもの。



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